4.馬騰、韓遂の乱に魔王再び出陣す
「俺が仕えるのではない。漢王朝が俺に仕えるのだ。この董卓の戦、全てはその時のために存在しているのだ!!」
(郡雄伝第二章 おじいさまと韓遂の会話にて)
186年の冬、朝廷は張温を帰還させました。
この隙に、韓遂は返章を始め、他の有力者を殺害して実権を握ると、十数万の兵を率いて隴西群を包囲。
太守の李相如を抱きこみ、羌族と漢人の混血にして司馬の馬騰(後の馬超の父親)や王国といった有力者達と同盟。
王国を盟主として、再び朝廷に反旗を翻します。
翌々年、反乱軍が陳倉を包囲すると、朝廷は董卓おじいさまを前将軍に任命し、おじいさまは左将軍の皇甫嵩と共にこれを迎撃します。
敗れた韓遂らは王国に代わり、次は県令の閻忠を脅して盟主に押し上げます。
ところが、閻忠はこれを恥じて病死。
韓遂らも次第に仲違いを始め、この同盟は自然に瓦解しました。
この数年に渡る韓遂らとの戦いで、董卓おじいさまは多くの羌族の兵士達を降伏させ、それを自己の軍団に編入していきました。
朝廷は董卓おじいさまが武力を増強していく事を危惧し、その軍勢と共に上洛し、皇甫嵩の指揮下に入る様に何度も命令しましたが、
「涼州は混乱して鯨のごとき巨悪はいまだ滅びず、これこそ臣の発奮して命を捨てる秋でございます。官吏兵士は勇躍して御恩を思っては恩返しを願い、おのおのが臣の馬車を遮り、声音は懇々と真心がこもっておりますので、いまだ帰途に就くことができませぬ。しばし行前将軍事として誠意を尽くしてその慰安に当たり、軍務に尽力いたしたく存じます」
と申し開き、受け付けません。
見かねた朝廷はおじいさまを官職に就けるので、その兵を皇甫嵩に引き渡す様に命じますが、
「臣が兵事に携わって十年、士卒どもは老若を問わず仲睦まじくなって久しく、臣が養育した恩恵を慕い、国家の御為に緊急の命令にも奮起して応えたいものと願っております。なにとぞ州への着任と辺境での尽力をお許しください」
と言ってやはり応じません。
兵士達が呼び止めるから、兵士達の気持ちを考えるとどうしても、等と言ってはいますが、実際は私兵の増強を遮られないための方便だったようです。
二度に渡り、朝廷の命令を無視した形ですが、結局、おじいさまが処罰される事はありませんでした。
この後、ある事変が中央に起きるまで、董卓おじいさまは虎視眈々と涼州でその機会を待つ事となります……